近未来フォーラム

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Report

講演レポート

布施 英利

01.基調講演

過去と未来を繋ぐアートの、
21世紀における役割

布施 英利

美術批評家、
デジタルハリウッド大学 客員教授

アートは謎の提示である。本質的な転換を迫られるときに頼るべきもの

デジタルハリウッドで11月22日(木)に開催された「近未来教育フォーラム2018 The ART into Future」。毎年開催される近未来教育フォーラムの今年のテーマは「アート」。課題の明確でない不確実な時代において、これから必要となる学びに着目していく。

基調講演で登壇したのは、美術批評家であり、デジタルハリウッド大学の客員教授である布施英利氏。「過去と未来をつなぐアートの、21世紀における役割」と題して、「アートとは?」という本質的な問いに応えようとする。また、最後にはデジタルハリウッド大学学長 杉山知之との短い対談により、22世紀へ向けてのアートとの向き合い方を提示する。

アートとは、「謎」の提示である

アートとは、「謎」の提示である

「アートとは何か?」を語る前に、最近話題になったバンクシーのニュースが紹介された。正体を明かしていないアーティストのバンクシーによる作品が、オークションで落札されたとたん、額縁に仕掛けてあったシュレッダーで裁断されるという事件だ。

「その場で盛り上がって面白いだけのものはアートではありません。デザインには一発芸的なものや、3秒で見た人の心をつかむことが求められますが、デザインとアートは異なるのです。現代では、アートがお金で評価される。その象徴であるオークションという舞台で、作品が無残な姿になった作品は、今後、100年でも残る可能性があるでしょう」

今回、バンクシーは一瞬でひとの心をつかんだが、アートとは必ずしも即効性を求められるものではない。さらに、アートを定義するうえでもうひとつ重要な点があるという。

「アートとは正解の提示ではなく問題提起。そういう意味では、アートとは、『謎』の提示であると言えるでしょう」

世界の三大「謎」アート

世界の三大「謎」アート

ここで布施氏は、世界の三大「謎」アートを紹介する。つまりは「世界でもっとも『素晴らしい』『本物の』アートである3つ」なのだ。

「ひとつめは、マルセル・デュシャン。男性の小便器を横向きにしただけの作品で、タイトルは『泉』。ただし、人工的なニュアンスを出す意味で『噴水』と訳す方が本来の意味に近いでしょう」
デュシャンは、最初に提出した作品を紛失したことにして、いくつもレプリカを作った。これは、20世紀の複製芸術の時代に、大量消費、大量生産を映し出しており、一発芸とは違うところだ。

ふたつめは、京都の竜安寺・枯山水庭園。砂利を水に見立て、都会に山奥の渓流や、広大な大海を形作っている。庭をどちらから見るかによって広さが違って見えるという、目の錯覚を利用した形になっている。

みっつめは、レオナルド・ダ・ヴィンチ。デジタルハリウッド大学で美術解剖学の講義を担当している布施氏は、解剖学の観点から「最後の晩餐」をひも解く。

「子どもが『き~ら~き~ら~ひ~か~る~』と歌いながら手をひねってひらひらさせる動きは、人間などの霊長類しかできません。解剖学的には手首が回っているのでなく、手首とひじの間にある尺骨、橈骨の2本がねじれることで手のひらを反すことができる。『最後の晩餐』の絵は、キリストを中心として、左右に6人ずつの弟子たちが描かれ、それぞれ多様な手の動きをしています。驚くべきことに、キリストに向かって左側の手と、左側にいる弟子の手は、すべて親指が内側にくる形、キリストに向かって右側の手と弟子たちは、親指が外側に来る形になっています」

ダヴィンチは解剖学によってその2つの違いを認識しており、意図的に描いたのだろうと想像されます。このようにアートとは、謎の「提示」なのです。

ほとんどの物や人から外れているのがアート

ほとんどの物や人から外れているのがアート

講演の終わりには、デジタルハリウッド大学の学長 杉山と対談をした。

「今後アートは社会のどんな役割を担っていくのでしょうか」と杉山が問うと、布施氏は次のようなヒントを告げる。

「本質的な転換を迫られるなど、大事な時に頼るべきはアートなのだと思います。これまでアートは、例えば性についてもあらゆる多様な描き方をしていますから。また、アートに関わることは楽しいものです。仕事以外で本当にやりたいものは何なのか考えたときに見えてくるものはアートなのではないでしょうか。だからこそ、富を得た人たちはアートを求めます」

宗教や政治やテクノロジーは時代と共に移り変わるものの、アートだけはその高みを保ったままであるという不思議な構造があると布施氏は指摘する。現代においても、表現やメディアを考えるうえでもう一度参照すべきものなのだ。