
被災地の小学生と大学教授の5年間の物語
~クリエイティブな授業を通して伝え続けた「未来を咲かせよう」~
岩手県大船渡市。
岩手県南部に位置する三陸海岸を代表する都市のひとつです。

緑深い山々に海が入り組むその景観はいかにも三陸海岸の港町であり、大きな船が行き来する様子や、立ち並ぶ海産物の看板からも、海とともに発展してきた街だったことがうかがえます。
2011年3月11日。こののどかで美しい街を東日本大震災が襲い、多くの方が犠牲となりました
大船渡市によると大船渡市の震度は震度6弱。この町も大津波の被害を受けました。
震災直後の大船渡市
同日。東京都千代田区のデジタルハリウッド大学で色彩論・発想論などの教鞭をとるデジタルハリウッド大学南雲治嘉教授は、地震発生時、授業の真っ只中でした。収まらない揺れの中、学生たちへ「指示があるまで動かないように」伝え、ネットで地震情報を確認。震源地は岩手県三陸沖であることを確認しました。
その時、南雲教授の脳裏をよぎったのは、東京から大船渡市に嫁いだ教え子の野々村江美さんのことでした。
「たしか幼い子どもも何人かいたような。どうか無事でいてくれ。」そんな不安をいただきながら、
携帯で安否確認の電話をかけてみると「私も家族も無事だけど、、家は流されてしまった」という報告。
とにかく無事で良かったとホッと胸をなでおろしたのもつかの間、
野々村さんからうかがう現地の被害の規模感に南雲教授はただただ愕然とするのでした。
野々村さんの住む大船渡市綾里地区は海に面しており、津波被害の影響を大きく受けました。
綾里地区のほぼ中央に位置する大船渡市立綾里小学校の校庭は、おびただしい瓦礫の山で多い尽くされ、
校舎の1F部分は津波が浸水したという痛々しいお話を聞き、30年以上にわたり学校を仕事場とし
教鞭をとってきた南雲教授は「学校は友達と学んだり遊んだりしてともに成長する場。痛々しい津波による
被害に対して、今の自分たちにできることはないだろうか」と考えました。
震災直後の大船渡市立綾里小学校
南雲教授は児童たちを毎日目にする学校の廊下を、学生たちからのエールを込めた花の絵で埋め尽くすボランティア活動を発案。“色彩”の持つ力で児童たちを支援したいとの想いから『カラーフラワープロジェクト』と名づけ、小学校へ連絡をいれ、さっそく実現に向けて早速準備に取り掛かりました。
廊下一面に掲出する花の絵を集めるのには400枚を超える絵が必要ということがわかり絵の収集には大苦戦。
しかし教え子の野々村さんから聞いた被災地の現状に対し、自分ができることをしたいという気持ちは、南雲教授を強く動かしたのでした。
デジタルハリウッド大学に通う中国人留学生が中国から絵や書を400枚以上集めてくれたほか、ドイツの高級文具メーカーファーバーカステル社がこのプロジェクトに賛同。ファーバーカステルの画材を使った学生コンテストの実施が決定し、このコンテストより多くの絵を集めることができました。さらにファーバーカステル社は、現地の児童たちにも文具を使ってほしいと、色鉛筆なマーカーなど100点を超える画材の提供をいただき、これが契機となり、色彩のプロである南雲教授による現地での児童向けの寄附授業も決定したのでした。
カラーフラワープロジェクトコンテスト表彰式の模様
2011年8月、集まった絵を実際に現地に掲出するため、学内でボランティア候補者を募ったところ、多くの学生たちが
力になりたいと立候補。中には偶然にも綾里小学校出身者の学生がおり、現地の状況について詳細情報をもらうこともできました。
そして2011年8月30日、南雲教授率いる「カラーフラワープロジェクト」メンバーは、現地へ出発。
鉄道などの交通機関も完全復旧しておらず、一向は池袋より深夜バスで大船渡を目指しました。
翌朝、大船渡に到着した私たちを待っていたのは、言葉にできない現地の惨状でした。ボコボコに潰れた状態で何台も積まれている車の山、所々舗装状態の道、車道沿いで何回も目にした廃材の山、そして何とも表現のしにくい現地の空気、メンバーそれぞれが被災地の現実を静かに受け止めたのでした。
震災から約半年後の大船渡市の模様
綾里小学校に到着。現地に到着してもっとも驚いたのは、保護者の方々、学校関係者の方々、地域の方々が総出で復旧して綺麗になっている学校でした。現地の方々が一丸となってこどもの学び舎を復旧する姿勢に感動しつつ、
校舎に入り、花の絵を掲出する廊下を確認すると、津波が廊下に押し寄せたことをうかがわせる津波の跡が薄く残っておりました。今は綺麗になっている学校も3月11日は大変な被害があったことを一同が考えさせられました。
そして国内や国外から集まった総数約450点の絵の廊下への掲出を開始。デジタルハリウッドの役員も車でかけつけ、プロジェクトメンバーとともに花の絵の掲出を行いました。数時間をかけて、学校一階廊下の壁の一面は、花の絵によって覆い尽くされ、花畑のような展示が完成したのでした。絵であふれた廊下は1カ月間ミニギャラリーとして地元の方たちにも開放され、色によるエールとして地元の皆様にもお届けしました。

そして、いよいよ綾里小学校2年生のクラス21名にむけて南雲教授による授業が開始となりました。

緊張の面持ちでクラスに入ると児童たちの明るくて大きな声で迎えられました。この授業前、担任の先生とお話したところ、このクラスの児童の中には、自宅が津波で流されてしまったご家庭や、親を被災で亡くされた方がいることを伺い、プロジェクトメンバーたちも複雑な心境でクラスに入ったのですが、児童たちの明るい挨拶で私たちの方が勇気をもらったのでした。
色数の多い色鉛筆、大変喜んでいただけました


南雲教授は、大学での授業同様、明るく、楽しく、そして時には厳しく授業を実施。子どもたちは"大切な人へ絵を描く"をテーマに、色の使い方などの指導を受けながら、大切な家族や本学の学生に向けて想いを伝える絵を大量に描きあげたのでした。
こうして「カラーフラワープロジェクト」を契機として、綾里小学校と南雲教授の間にご縁が生まれ、このプロジェクトは、2年生クラスが6年生になる2015年まで同じクラスに継続して実施をいたしました。2年目以降は、一日でも早く現地の子どもたちが未来について前向きに歩んでほしいとの思いから、『未来を咲かせるプロジェクト』とプロジェクト名をあらため、タブレットによるデジタル描画や、秋葉原・金沢・大船渡をネット中継するアート授業、紙粘土を使用した立体造形授業など、年に1回行われるクリエイティブな授業は、子どもたちにとって未来について考える機会となったのでした。
そして児童たちが6年生となった2015年12月、最後となる授業が終了。年に1回、5年間、同じクラスに授業を提供させていただいたメンバーたちが、プロジェクトを通して最も印象的に感じたことは、子どもたちの成長でした。
大変つらい経験を小学校2年で味わいながらも、地域の未来のことを考えて漁師になると力強くかたる児童、次から次へ発想してイキイキと描写する児童など、ひとりひとりの児童が、豊かな自然に囲まれた綾里の地でのびのびとそしてイキイキと成長している姿は、都内の教育機関で働く南雲教授や大学生たちにとって、継続的な支援を行い成長を見守りたいという想いを強くするものでした。
最後の授業での南雲教授からの挨拶。 「5年間ありがとう、またみんなと会えると信じています」との言葉に、プロジェクトに関わった南雲教授以下メンバー一同は胸に熱いものがこみ上げ、涙するメンバーもいました。
授業の最後に撮影した記念撮影。共に制作した立体造形パネルを囲んで撮影した写真からは、この5年間にわたる授業をとおして結ばれた児童たちとメンバーたちのキズナが表情にあらわれているようでした。
最後の授業で制作した立体造形の完成度は高く、みなさんの成長がうかがえました
被災地の小学生約20名と5年間にわたりクリエイティブな学びで交流した「未来を咲かせるプロジェクト」。
プロジェクトは終了しましたが、今後、児童たちの描いた絵を商品化して販売し、その売上を被災地への寄附や支援にしようする企画が、南雲教授を中心として検討されています。
プロジェクト名に込めた「未来を咲かせる」というフレーズのごとく、綾里小学校のみなさんをはじめ、
被災されたみなさまの未来が花咲くことを願い、次の私たちができることを実践していきたいと思います。
【動画】南雲教授に5年間のプロジェクトを振り返ってもらいました。


このプロジェクトには日本各地はもとより、海外からもあたたかい支援をいただきました。力強い書を書いてくれた中国の小学生のみんな、現地でおいしいウニをはじめとする海鮮をごちそうしていただいた門口さんのご両親、急なお願いにも関わらず大変な調整をいただいた金沢中央小の福田先生、多面的に支援いただいたADKの鈴木明紗さん、そして膨大な仕事がある中プロジェクトがスムーズにすすむよう様々な手配をしていただいたハルメージの五月女さん五味さん、数を挙げればキリがございませんが、この場を借りて皆様のお気持ちに深く深く感謝を申し上げます。
文:デジタルハリウッド 広報室 根鈴啓一